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【鯖尾ノート】日本保守党 政策4.憲法9条改正~

4.憲法9条改正(2項の一部削除)

2023.12.2

 日本政府の見解

いままで、9条と「現実の安全保障」との整合性について、あきらかに理解できるような説明に触れたことがありません。

日本政府の見解は、衆議院の資料(以下link)に、あくまで「多数派の意見」としてまとめられています。(これが最新のものかどうかは不明です)
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/1800531_point.pdf/$File/1800531_point.pdf
要約してみました。
①「武力の行使」等を我が国として行うことは許されない。
②とはいえ(国際法上の通常の用語例を踏まえて)自衛戦争、制裁戦争は放棄されていない。
③(2項の「戦力」とは)自衛のため必要な最小限度を超えるものをいい、
④憲法9条(1項・2項全体)の下で許される自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度にとどまるべきである。
⑤したがって、集団的自衛権は自衛の範囲を超えるため認められない


この見解だと、制裁戦争が可能ということなので、敵基地への反撃能力の保持も、局地的な戦闘も合憲という意味にも捉えられます。
少なくとも言えることは、9条と「現実の安全保障」のギャップを埋めるために、相当苦労しているというのは感じ取れます。
いろいろな政治的力学や、現実的な憲法改正手続きなどを考えずに私見を言うなら、9条はいったん白紙とし「現実の安全保障」の基本的ルールを定義しなおすべきだと思います。
日本人の生命や主権をないがしろにして、ただ紙に書かれた文字の羅列を神のように崇めたてている人たちの思考が私には理解できません。


 憲法第九条 条文

以下、9条です。


第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


日本保守党の政策では、この2項(下線)の「一部」を削除する、となっています。
2項の文章の一部を削除したうえで、この条文を文脈として成立させようとすると、戦力不保持(陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない)の部分か、交戦権放棄(国の交戦権は、これを認めない)かの、どちらかを削除するということだと思います。しかし、どちらかを削除したとしても、解釈でギャップを埋める必要性は残りそうです。
「一部」というのが、どの部分なのかを現時点で知ることはできませんでした。
書籍『百田尚樹の日本国憲法 』百田尚樹 (著)には、党の代表でもある百田尚樹氏が当時考えていた憲法9条改正案が載っています。党の政策はそれとは異なりますが、書籍は9条以外の憲法にも触れており、他国憲法との比較や現憲法成立の経緯などにも言及しており、非常に興味深く面白い内容でした。


 自民党はやらない

遅々として実現しない、いったい本当にやる気があるのかどうかわからない自民党の憲法改正案も参考にしてみたいと思います。


自民党のHP(日本国憲法改正草案 | 資料 | 自由民主党 憲法改正実現本部)で、憲法改正草案が紹介されています。(以下、下線が変更点)


第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。


この自民党案では、1項2項共に修正が加えられています。
現在の9条よりはスッキリしていますし、自衛権を認める文言を入れている点は評価できると思います。ですがこれは、単に「政府見解に、憲法を少し近づけた」だけのことだと思います。
「武力による威嚇」というところもひっかかります。同盟国との合同訓練が「武力による威嚇」に該当する、などという文句をつけられる隙があります。
自民党の改正案は、「改憲」という大きな労力を伴う作業で得られる果実としては小さすぎるのではないでしょうか。


どうせ改憲するのであれば、私でしたら
【鯖尾憲法】
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての侵略戦争を永久に放棄する。
とします。
2項は全文削除です。
個別的自衛権に関して実際にできることは、自民党の解釈とほぼ同じです。
「侵略しない」と明言しているわけですから、誰が何と言おうと完全に平和憲法です。
当たり前すぎる条文ですが、しかし、たいていの法律は当たり前のことが書いてあるものです。そして余計な争点を作りません。武力の定義が自衛権を超えるとか超えないとか、そういった議論が生まれる余地すらありません。何を言われても「侵略しないと書いてある」といえば済みます。先制攻撃をするとかしないとかの細かい内容は、自衛隊法で決めておけば良いのです。
国民投票をするなら、この方がよほど賛成を得られそうな気がします。


この鯖尾憲法では、もちろん、自衛隊のインド洋圏での民間船舶などの護衛活動も可能になります。
また、憲法以外の法律で規制しない限り、集団的自衛権に関しても認められます。
集団的自衛権というのは、日本の同盟国などが武力攻撃を受けた場合、被攻撃国を援助し、共同してその防衛にあたる権利のことをいいます。同盟国の自衛権に関しての協力ですので侵略にはあたりません。
そもそも、集団的自衛権は、同盟国同士、相互に機能させるのが当たり前です。集団的自衛権の行使に関しては、その時々で閣議決定するなり、特例法を作るなりして、不参加、あるいは自衛隊の行動範囲(制限)について決めればそれで良いと思います。


前述したように、日本政府の見解では、集団的自衛権については認められないという見解でした。

しかし、私はこの見解には大反対です。


同盟国に対しては集団的自衛権を求めるのに、日本だけは同盟国の集団的自衛権には協力しないなんて、まともな人間の感覚ではありません。道徳的観念が欠落している人間の思考です。そんな人は「人を助けよう」なんて思ったことすらないのかもしれません。
そんな人を、あなたは命をかけて守るでしょうか?
わたしなら、そんな自分勝手な人たちを自分の命を懸けて助けようとは絶対に思いません。集団的自衛権に反対する人は、単に自分勝手な日本人か、集団的自衛権を行使されることで日本の防衛力が強くなると困る国の手先なのでしょう。


手前味噌の鯖尾憲法はともかく、憲法の改正には、非常に高いハードルを満たす必要があります。
憲法96条には憲法改正の要件として、衆参両院の2/3以上の賛成のあと、国民投票で半数以上の賛成が必要と定められています。
国会両院で国民投票が決まったとしても、国民投票で否決されてしまえば、この改憲に使った労力が全て無駄になります。今の日本人には、改憲という高いハードルを何度も超えることはできないでしょう。
憲法改正の国民投票は、必ず可決させなければなりません。
かといって、中途半端な内容で妥協することは、将来に同様の課題を残すことになってしまいます。
まずは、「改憲できた」という実績を作り、「日本人が自らの力で憲法を改正できるのだ」という自信を国民で共有することも、あるいは必要なのかもしれません。
改憲についてはメディアは反発するでしょう。メディアの印象操作に流されない判断ができるかどうか。


日本人には難しいかもしれませんね。




(2023.12.7追記)
”憲法改正「任期中」は2024年9月末まで 岸田首相が認識示す”-毎日新聞


 
 


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