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【鯖尾ノート】日本保守党 政策32.~キャリア教育の拡充

32.内申書の廃止、キャリア教育の拡充


2024.3.2
政策30を超えてからは、ざっくりとした政策になってきました。
おそらくこの辺りは、河村共同代表を招聘するにあたっての政策のすり合わせによってできたものなのだろうと、鯖尾は勝手に想像しております。


【キャリア教育とは?】

日本保守党がいうところの「キャリア教育」の定義と同一かどうかはわかりませんが、文科省のキャリア教育とは何かによると、
『一人一人の社会的・職業的自立に向け,必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して,キャリア発達を促す教育』
がキャリア教育なのだそうです。


しかし、行政の出す文書を見ていると、いつも思うのです。
ひとつのことを説明するために、新たな謎を増やしている。


「キャリア発達」ってなんじゃ?



こう言いかえると少しはわかり易いかもしれません。
キャリア教育とは
「一人一人が社会的・職業的自立を目指せる大人になるための基礎的な能力や態度を育てる教育」


「能力」というのは、働くために必要な知識や体力、問題解決能力のようなことでしょう。
「態度」というのは、仕事に向き合う心構えのようなことでしょうか。いわゆる「態度が良い悪い」という礼儀の部分だけではなく、職業観や勤労観(仕事の意義についての理解や、自分の人生においての仕事の位置づけ、仕事において得られた経験をどう生かしていくか、などといったことを主体的に考える態度)ということも含まれているのだと思います。


確かに、キャリア教育は大切なことだと思います。
キャリア教育が上手くいくと、「人生は学びの連続だから、いい大学を卒業したからといって、それだけではつまらない人生になる」と気づくでしょう。
ですから学校を卒業後も実学を進んで勉強するでしょうし、様々な書物を読んだり、積極的に物事にあたって、経験から学ぼうとする態度も身につくのだと思います。
そうなると自分の価値が自然と向上しますから、仕事で成果がでるのは必然で、社会の役に立って、家族の役に立って、役に立っている自分に満足して幸せになり、笑顔が増えます。
すごく良い循環です。
偽善や職業的地位によって自己肯定をする必要がなくなりますし、利権にしがみつく必要もありません。


気持ちのいい人生です。



【内申書】

内申書がなくなると、学科テストの点数だけで評価されるということになります。
そもそも高校受験(政策30)がなくなれば内申書もなくなるのかもしれません。
教員にとっては書類がいくつか減りますので、業務改善になるかもしれません。
ちなみに、推薦入学の場合は学力テストはありませんから、内申書の点数で評価されるのが一般的のようです。


※内申書の歴史

以下の記事から抜粋します。
<ユースク> 内申点って高校受験でいるの?:中日新聞Web


『始まりは1927(昭和2)年、旧制中学の激しい受験競争を緩和するため、国が筆記試験を全廃し、内申点などを記載した内申書だけで選抜を行うようにした。
 戦後、進学希望者が少なく全員が入学した時期を経て、進学率の向上とともに学力検査が復活。再び受験競争が過熱して、66年に当時の文部省が内申書を尊重するよう通達し、学力検査と内申点を軸にした公立高校の受験の仕組みが出来上がった。』


内申書の制度は、学力検査に偏った受験競争の過熱を和らげるために導入された制度だということです。
つまり、内申書をなくすと受験競争が過熱し、それこそ高校受験での自殺者を増やすことにもなりかねません。


※内申書のイメージ

・テストの点数以外での評価だから、内申が良ければ進学に少し有利になりそう。
・学校内で教師による統治を働かせる機能。校内治安維持の側面もありそう。
・先生に逆らうと内申点が悪くなるような気がする。


内申書に対して悪いイメージがある理由は、テストの点数のように本人に開示されるものではなく、自分の知らないところで点数がつけられているという「不信感」が根本にあるからだと思います。内申書をなくしたほうが良いという意見は、「不信感」にまつわる「不安」などの負の感情が原因となっているように思います。「陰口を言われているかも」というような不安感に似ているのかもしません。


※内申書を廃止したい理由

どうしたわけか、極度に内申書を気にする子供たちがいるようです。
あるいはアナーキーな大人がそそのかしたのかもしれません。

この記事では、『子どもの声を聞く仕組み作りや、子どもの興味関心や主体的な学びに悪影響を及ぼしうる「内申書」の廃止、高校の義務教育化などを訴えた。』とあり、また、『常に他者の評価を気にする学校生活、自己肯定感の低さを生む』などの問題提起しておられます。


問題提起の要点は、
・内申書は子どもの興味関心や主体的な学びに悪影響を及ぼす
・内申書は子どもの声を聞く仕組み作りを阻害する
・内申書が序列化を招く
・内申書は子供の権利を損なう一因
・内申書があると、学校生活において常に他者の評価が気になる
・内申書は自己肯定感の低さを生む
他にもあるかもしれませんが、これくらいにまとめました。


※鯖尾の反論

これらの問題提起に対して、鯖尾が理屈っぽく反論してみます。


・内申書は子どもの興味関心や主体的な学びに悪影響を及ぼす
⇒興味関心や主体的な学びは、学校が終わってから取り組みましょう。社会の制度(税金が投入されている)というのはある程度画一化しなければシステマティックに運営できません。


・内申書は子どもの声を聞く仕組み作りを阻害する
⇒内申書があるからと言って、何も阻害されていません。単なる思い込みです。
それに、いちいち子供の話を聞いている暇は、普通の大人にはありません。お金を直接払って自分専用の先生を雇えば、ちゃんと優しい表情で話を聞いてくれると思います。
それでも現在の日本では、こういった提言を受け止めてもらえるだけ、十分に子供の声を届けられる社会だと思います。


・内申書が序列化を招く
⇒内申書に限らずテストも序列化を招きます。そもそも序列は適性判断の手法のひとつです。「序列化はダメだ」というなら、あなたの良い部分を評価することで序列ができてしまいますから、誰もあなたに良い評価をつけることをやめてしまいます。
「子供に対して無関心な社会であれ」とおっしゃるなら、序列化に反対するのも良いでしょう。


・内申書は子供の権利を損なう一因
⇒「子供の権利」というとなんでもワガママが通るわけではありません。大人をナメているのでしょう。こんなのは、こじつけも良いところです。子供の権利が「ワガママをいいうこと」なら、おっしゃる通り内申書は子供の権利を損なうものかもしれませんが、子供の権利というのは「ワガママをいうこと」ではありません。
子供の権利とは、ユニセフによると「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」「参加する権利」だそうです。内申書で制限される項目はひとつもありません。むしろ「参加する権利」に対しての活動状態を内申で評価するうえ、学科テストの結果だけで評価しないという点では、ある意味「守られる権利」を担保しています。


・内申書があると、学校生活において常に他者の評価が気になる
⇒常に他者の評価を気にするかどうかは、本人の問題です。どうか自己解決してください。


・内申書は自己肯定感の低さを生む
⇒内申書に反対している方々は、内申書で良い評価を得る自信がそもそもないのでしょう。だから、自己肯定感が得られなかったり、評価が気になったりするのではありませんか? 持って生まれた性格によって自己肯定感の得やすさには差異があるものの、自己肯定感は他人によって与えられるものではありません。自分の努力が結果につながった時に得られる実感の積み重ねによってのみ育まれます。実感がないのに、ただ煽(おだ)てられても、きっと虚しく感じるか、嫌味に感じるかのどちらかのはずです。
他人が考えることにヤキモキしてもどうにもなりません。気にする必要すらありません。
内申点が良くなったとしても、そんな弱いメンタルのままなら、責任のある仕事にはつけませんから、いくら良い大学を出たとしても社会で大した役には立ちません。
他人の評価は他人に任せておいて、自分の好きなことに打ち込んで自己肯定感を高めてください。口には出さなくとも、ちゃんと見てくれいる人はいます。


※「内申書」とは

(以下コトバンクによる解説)
『上級学校への入学出願に際して、下級学校の校長は出願する生徒の学業成績、性格・行動、出欠状況などを、指導要録に基づいて記載した書類を提出するが、この書類を通常、内申書とよんでいる。法律用語としては調査書という名称が用いられている。』


ということです。調査書様式と点数のつけ方についても、参考までにlinkしておきます。
文科省ー調査書様式
点数のつけ方(東京都)


内申というのは他人の評価です。人間が生きていくうえで、他人の評価というのは切っても切れない、時には人生を左右するものです。
それは厄介でもありますが、逆に大きなチャンスにもなりえます。
子供のうちに、そういうものに慣れておくのも学びのひとつです。


弱いままでは大人にはなれません。



最後に、
日本保守党には、キャリア教育の推進のほうに注力していただきたいと思います。







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#日本保守党 #内申書 #キャリア教育